日本エアコミューター 沖永良部ファイナルフライトルポ

2006年9月30日 鹿児島−沖永良部−鹿児島。純国産機最後の飛翔。


 29日の高知→福岡のファイナルの後、MD−81で鹿児島に移動しそのまま空港近くのホテル泊。こうして迎えた2006年9月30日の朝は、JACの、そして日本の民間機としてのYS−11ファイナルデーである。ファイナルフライトは鹿児島−沖永良部往復のJAC3807&3806便。当然ながらこの便の予約確保は難航したが、直前の9月28日夕方、ついにファイナルの往復予約確保のメールが届いた。これでANKに続き、JACでもファイナルを機内で迎えられることが確定したわけである。

 さて、そうして迎えた30日。午前中は沖永良部往復が取れるまでは僕の最終フライトとなる予定であった鹿児島→福岡→鹿児島の往復(JAC3966&3965便)搭乗である。お帰り確約を利用したため両便とも特便割引1で確保できた。最終運航日である30日に4回もYSのフライトを楽しめるのは非常に幸せである。ターミナル周囲の駐車場などには立ち入り禁止を示す表示が出ていたのがファイナルデーを物語る。また、展望デッキも無料開放されるとのことで、ファイナル便が着陸する頃にはかなりの人出となることであろう。

 空港ビルがオープンする前に到着するも、既に列が出来ているほどの盛況ぶり。しかしながら、ドアが開くと大半は展望デッキへと向かったため、福岡→鹿児島と鹿児島−沖永良部往復はすべて窓側を確保できた。チェックイン後はセキュリティチェックを抜け、ラウンジで時間をつぶした後11番ゲートからバスで機体へと向かう。昨日の高知ファイナルがJA8768であったため、これから乗る機体は自動的にJA8766と確定する。こうして簡単に機材繰りがわかってしまうのも、あれだけの勢力だったYSもたった2機しかいなくなったことを物語っている。

 機内でYS引退の新聞記事を読んだりしつつ、福岡往復は目立った混乱もなく滞りなくこなした。福岡空港では鹿児島からの到着便、徳島からの最後のYS着陸機を撮影。晩年はYSハブとなった福岡でもついに最後と思うと、やはり惜別の感がある。福岡で2機並ぶ姿もこれで最後である。15分後に出発する福岡→鹿児島の最終便、JAC3967便を見ながら、復路のJAC3965便に搭乗。エプロンでは横断幕との記念撮影が行われていた。隣席に元ANKのキャビンアテンダントさんが搭乗しており、お互いのYSの思い出を語った。ANKもかつて九州で多くのYSが活躍しており、彼女自身も訓練はYSで受けた世代らしく、「いよいよ最後ですね。着陸したら泣いちゃいそうです。」と言う言葉が印象的であった。

 鹿児島空港のRW34から着陸し、T3から滑走路を抜けて17番スポットへ。ファイナルフライトのタキシングコースとして記載された通りのルートをまるでリハーサルかのごとく進む。ファイナルではT3通過中にウォーターアーチがあるらしい。バスでターミナルに戻り、いよいよ最後の往復、沖永良部行きに備える。やがて後発便だった福岡→鹿児島の最終便、JAC3967便が20分ほど遅れて到着。この遅れのためか最終便の機材はJA8766に変更となり、同じ日に同じ機体に4回搭乗するという新記録も生まれてしまった。

午前中は福岡へ&新聞記事

名残惜しく

福岡への最後の着陸&最後の2機並び

記念撮影中&出発

人であふれる鹿児島空港の展望デッキ&17番スポットで翼を休めるJA8766

 13時半頃搭乗開始。再び17番スポットへ移動し、機内へと向かう。あの青木勝カメラマンがランプで撮影を行っていた。青木氏とは新種子島空港開港時に会話をしたが、カメラを構えたときの彼から出るオーラに感銘を受けたものである。当時は同じ便で鹿児島へと戻った。本日のクルーは本村、広瀬のダブルキャプテン、さらに東村、仮屋のダブルマネージャー。もう2度となさそうな充実の組み合わせのクルーである。やがてドアクローズし、エンジンスタート。T1からRW34に入り、JALのA300に見送られつつ民間定期便として最後の鹿児島空港離陸である。

 南へ向きを変え、桜島、開聞岳を左手に見ながら海上へ。機内ではドリンクサービスが始まり、本村機長のアナウンスが始まる。「YS−11の関係者、JAC全社員に代わってYS−11のご愛顧御礼に始まり、過去の思い出が走馬灯のようにぐるぐる回っていることから話は始まる。その後もあれやこれや話されてはいたが、如何せん話が長い。さらに話を続けるかどうかは拍手で決めると言う展開にまでなり、今飛んでいる徳之島近傍で落雷に遭い、左のプロペラが黒こげになっていた話などが追加され、延々18分に渡るスピーチとなった。

 スピーチが終わると搭乗証明書の配付が始まり、徳之島が見えてきた辺りで着陸態勢に。眼下には徳之島空港とMD−81が確認できた。そしていよいよ沖永良部島の上空にさしかかり、和泊の街並上空を左旋回しながら、沖永良部空港のRW04に着陸。着陸と共に機内は拍手に包まれた。ターミナルの方を見てみると、平屋のターミナル屋上の展望デッキからあふれんばかりの人々。エンジンが止まり、タラップを降りるとエプロンは関係者で埋め尽くされ、地元の少年少女によるエイサーが披露されていた。

ラストフライト前の2機並び&青木勝氏に撮影されつつ搭乗

鹿児島空港出発&A300のお見送り

この光景も最後&沖永良部上空へ&青い海をバックに方向転換

多くの人がお出迎え&エイサー

 一旦ターミナルを出て、沖永良部空港の売店、その名も「YS−11」をちらっと見た後、セキュリティを超えてエプロンへ。エプロンではセレモニーが行われていたが、参加できるのは社員など関係者のみで乗客は蚊帳の外。とりあえずターミナルビルの外には出して貰えたのが唯一の救いとでも言うか、最近多い「セキュリティのため」と言う彼らにとって便利な言葉が形式上利用されているだけのようにも思う。セレモニーが終わるとようやく機体へ近づけるようになった。時を同じくしてエアードルフィンのアイランダーが到着した。

 往路とは顔ぶれの異なる機内へと進む。こう考えてみると往路のみ、または復路のみと言う乗客も少ないと言うことであり、もちろんこの便に乗れずに涙を飲んだファンも少なくないはずである。往復が直前で確保できたことに非常に感謝しなければならない。着席するとエアドルフィンが先に出発。やがてドアクローズとなり、エンジンスタート。国内で定期便としてYSに乗れる時間も残すところ90分となってしまったわけである。「この飛行機は3806便鹿児島行き、YS−11のラストフライトでございます」とアナウンスが始まる。エプロンをやや大きく名残惜しそうに回り、RW04へ。いわゆるスタンディングテイクオフで鹿児島へ向けて最後の離陸。種子島の時もエプロンを8の字に回って驚いたが、どうもこのキャプテンはいざという時にこう言ったことをするのが好きなようである。1200メートルしかない滑走路の約半分、ちょうどターミナルビルの真横ぐらいで離陸したものと思われた。眼下には珊瑚礁が広がり、沖永良部の島影は見えなくなった。

 離陸後は往路とほぼ逆のコースを進むが、雲が多かったせいで時折YSの機影が雲に映るのが見えた。ベルトサインが消えると、搭乗証明書の配布が始まる。本日のクルー4名の直筆サイン入り、まさに特別版中の特別版である。そしてまた本村キャプテンのアナウンスが始まる。イントロは往路とほぼ同じだったが、「日本の空を純国産機で飛ぶのはあと45分しかありません」など、往路よりも切迫感のある惜別のメッセージが添えられる。往路の雷の話はオイル漏れの話となり、往路よりは若干短かったもののそれでも15分の演説となった。

乗客は蚊帳の外のセレモニー&花束を持って機内へ向かう広瀬機長&手を振る本村機長

乗客は蚊帳の外のセレモニー&RW04エンドへ&珊瑚礁を見ながら離陸

 アナウンスが済んだところで、最後のトイレにでかけ、後はシートで最後の瞬間を静かに待った。そしてベルトサイン点灯。コースとしてはRW34のコースかと思いきや、いつもとはホテル京セラの見える位置がおかしい。すると、鹿児島空港の滑走路と34と言う文字が眼下に見えた。さすがはいざというときに何かやってくれるキャプテン。JACの本社辺りの上空を通過し、左旋回してRW16へ。そして17時41分、鹿児島空港に着陸。日本国内におけるYS−11の定期便としての歴史の終わりの瞬間だった。

 その後は、ホームページにて事前に予告されていた通りにT3から滑走路を抜ける。T3に入る直前に消防車の姿が見え、放水が始まる。僕の席からは夕日とアーチがかぶり非常に美しかった。外から見ると2台の消防車からきれいな放水のアーチができていたのだろうか?。ただ、このアーチのせいで窓は水で埋め尽くされ、外の様子がはっきりしなくなってしまった。そしてスポット17に進み、エンジンストップ。YS−11のラストフライトも終焉となった。

 ドアオープンとなり、機外に出ると大きな拍手で迎えられる。おそらく社員と報道陣であろうかなりの人である。その中で、「おじいちゃんかっこいい」と言う子供の声がはっきりと聞こえた。おそらく定年間近の本村キャプテンのお孫さんなのであろう。後日TVにも出演していたが、おじいちゃんは彼にとって誇りであったに違いない。その本村キャプテン、YSの引退と共に現役を引退するとの事であった。

 乗客が降りると本村キャプテン以下、本日のラストフライトのクルー4人がタラップに勢揃い。ここでクルーと乗客、そしてYSとの記念撮影となり、乗客はバスに乗り込むこととなる。ここから先は部外者なしの内輪イベントの様相。機体を離れるバスの車内から見えた光景に、ANKファイナルと比べ何か物足りなさというか、YSが引退する寂しさとは違う、別の寂しさを感じてしまった。まあこれも社風なのかもしれない。

 こうして日本国内におけるYS−11の運航は終了した。僕の知る限り、今や定期便として飛ぶYSは世界に週8往復16便しかないが、完全に消えてしまう前に、もう一度フィリピンに会いに行く予定である。

「YS−11、41年間ありがとう」

搭乗証明書&見えてきた34エンド&夕日の中最後の旋回

ウォーターアーチを抜けて

拍手に迎えられ&4名のクルー

翌朝の機内からお別れ


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